2016年6月21日火曜日

流域をめぐるエトセトラ「みんなでまこう!猪名川流域みそのたね」



6月19日(日)に流域をめぐるエトセトラ「みんなでまこう!猪名川流域・みそのたね!」を開催しました。

「流域をめぐるエトセトラ」は自分たちの暮らしのそばを流れる川の「源流」を意識して、そこから自分たちの暮らしがつながっているということを実感してもらうための取り組みの総称。今回は能勢で大地の再生をしながら農に取り組むけせら畑の松岡くんとともに流域を意識しながら自分たちの流域の味噌を育てることを企画しました。 畑にたねをまく前に猪名川源流のひとつである能勢妙見山のブナの森ををみんなで訪ねます。

当日は朝からあいにくの雨模様で、時折激しく降るというコンディション・・・。今回は小さな子供たちが10人参加予定だったのでキャンセルが増えるかな?と思ったのですがほとんど全員が参加してくださいました!
しかし自分たちの側を流れる川の源がブナの森だったなんて、この取り組みを始めるまでまったく知りませんでした。


森を案内していただいたのは真如寺副住職であり、妙見山ブナ守りの会の事務局をされている植田観肇(かんじょう)さん。お寺のお仕事でお忙しい中駆けつけてくださいました。

観肇さんの案内で森に入るとすぐに樹齢数百年というブナの大樹やカシの大樹が迎えてくれました!この森には樹齢500年を超えるものを含む100本以上のブナの木があるのだそうです。


ブナは氷河期が終わった8000年~1万年前からこの地に根付いたのではないかと言われているそうで、妙見山のブナは日本の北方地域から伝播しこの土地に定着した固定種であることがDNAなどからわかっているそうです。また寒さを好むブナと、温かい気候を好むカシの大樹が共存しているのは非常に珍しく、妙見山の森の特徴だと教えていただきました。


見上げても先が見えないぐらいの大きな樹たち。幹も大人が1人では抱えきれない大きさです。ブナは非常に成長の遅い木で、5年を経ても1m程しか育たないそうです。とするとこの数十メートルある木たちが経てきた年月は・・・と考えると壮大な歴史の中にタイムスリップした気分になりました。

源流の森を歩くでは、猪名川町の大野山(おおやさん)も何度か訪れていますが、このような数百年を経たような大樹は見たことがありません。妙見山にだけこのようなブナの木が残された理由としては昔から神聖な場所として木の伐採が禁じられていたためなのだそうです。ただ樹齢数百年という木が残っていることを考えても、いつ頃からこの場所が神聖な土地だとされていたのか、また何故この場所が神聖とされてきたのか気になるところです。


森に入ってから上を見上げてばかりいましたが、ふとブナの木の根元を見てみると、落ち葉に混ざって少しかわった形の種がたくさん落ちていることに気づきました。



「それがブナの実と種ですよ。」と観肇さんが教えてくれました。ブナは数年に一度しか実をつなけないという特徴を持っていて、2年から5年ほとんど実をつけない年もあります。その理由として考えられるのが森の動物たちとの関係だと言います。
「ブナの実はとても栄養が豊富でたくさんの動物たちの餌になります。と同時にもしブナが毎年実をつけていたらねずみをはじめとする小動物たちが爆発的に増加して、若い芽をすべて食べてしまうということになるかもしれません。それを防ぐためにブナは自ら調整しているのではないかと思います。」というお話でした。

さまざまな生き物たちが有機的に折り重なり支えあいながら生きている「森」という存在を維持するために、樹自らが次の命を残すサイクルを調整しているかもしれない、というお話はとても興味深いものでした。

また、ブナはとても腐りやすい木で大きな枝が根元から折れてドーンと落ちることがあるのだそうです。 ただ大きな枝が折れるといままで葉っぱにさえぎられていた太陽の光が地面へと降り注ぎ、そこから新しい芽がでてくるのだそうです。


さらに木が腐りやすいということは同時に土に還りやすいということでもあります。折れた枝は地面に落ち、その枝をきのこ類などが食べ分解し、そのあと昆虫たちがさらに食べ、そしてもっと小さな虫たちが土に還していき、次の命のための土壌を整える・・・。ブナの森はなんという素晴らしい循環を持っているんだろう!!と感嘆してしまいました。
そして20代のころ青森のブナの原生林を訪れたときに同じ感覚を覚えたことを思い出しました。青森の森とはまったく規模が違いますが、同じ感覚を自分の住む地域で、また自分たちの暮らしを潤している川の源流で感じられたことはとても嬉しいことでした。

しかし、その素晴らしい循環にも近年大きな問題が生まれてきています。人間の伐採や開発が与えたダメージは計り知れず、もっとも大きな問題であることは言うまでもありません。


山頂から見下ろしたときのニュータウン群の様子や、土砂採取のために切り崩された山、拡大造林によって杉檜が山頂まで植えられた山などを見ていてもわかります。流域をめぐるエトセトラで猪名川の河口を歩いたときも、人の開発の結果として大地が2mも3mも沈んだという事実に圧倒されました。

ただ人の問題はまた別の機会にするとして、森で近年一番の問題になりつつあるのは鹿の爆発的な増殖です。 増えすぎた鹿たちはブナの新芽や森の下草も含めすべてを食べつくしてしまうのだそうです。実際に妙見山のブナの森も、数百年経ている樹はあるものの、次の世代を担う若い木がほとんど育っていないという問題に直面していました。そしてこの問題は妙見山だけではなく、先日森の集いを開催した奈良の春日山原始林や、京都の芦生原生林などでも直面しています。

しかし妙見山では2013年の夏の台風で樹齢200年という大きなブナが倒れたあと、400本を越える芽がでていて、それがキッカケになり「能勢妙見山ブナ守の会」が発足したのだそうです。


ブナ守りの会のみなさんによって植えられた若い木が、鹿を防ぐためのネットの中ではありますがすくすくと育っていました。この木が大きくなるの自分たちの孫か、ひ孫の世代。その時代のことを考えながらいま動いておられます。

もしこの森が次の世代が育たずに絶えてしまったとしたら、一部限られた地域の小さな森であるとは言え、子供達が身近で数百年を経た樹に触れられる本当の森、循環する森の姿に触れられる場所がなくなってしまいます。そのことの意味はとても大きいと感じました。

このブナの森でまだまだ感じたことがたくさんあるので、近日中に続編も書いて行きたいと思います。みそのたね蒔きにたどり着くまでどれぐらいかかるのでしょうか(笑)

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