2016年6月22日水曜日

流域をめぐるエトセトラ 中編「雨の森と水の流れ」


雨は森に降って川になり、里を流れ、田畑を潤し、村を抜けて街に至り、そして海へ流れ込んだあと、雲になって再び森に雨を降らせます。

人為的に作られた区切りを超えて、川とその水を共有している人たちがお互いのことを想い支えあいながら暮らしていけたら。

そのことをより深く感じるために、今回の源流を歩く日に雨が降ったのではないか。そのように感じるほど雨のブナの森は素晴らしく、また水のことを考えるとても大切な体験になりました。

前篇に引き続き中編では雨の森と水の流れについて書きたいと思います。

時折激しく降る雨がブナの葉を叩く音が森にこだましています。バラバラと落ちてくる雨を受けながら上を見上げると大きな幹を伝って水が流れ落ちてくるのが見えました。


その水量はかなりのもので、幹に手を添えるだけでまるで湧き水を汲むように水が手の中へと流れ込んできます。子供たちも「すごーい!」といいながら手に水を溜めて遊んでいました。
 

その様子を見ながらあることに気づきました。ブナの幹にはこれほど水が流れているのに、そばにある杉やカシの木の幹にはまったく水が流れていないのです。


上の写真は杉。下がカシです。同じ時間、同じ場所ですが幹は乾燥しています。


なぜブナの幹だけ水が流れているのだろう?と不思議に思いました。

あらゆる生き物は長い時間の中で暮らす環境に適応するように姿形を変えてきています。僕は学者ではないのではっきりと断言できるわけではありませんが、ブナの木だけが水を集めるという特徴を持っているのなら何かしらの意味があるのだろうと思います。

調べてみるとブナは「緑のダム」と呼ばれるほど根の下に水を溜めることができるのだそうです。そのため葉や枝に降った雨水を集めて根元に流しているのでは?と想像してみました。

幹を伝いまるで小さな滝のように渾々と流れて落ちていく雨水ですが、根元に流れた水はそこに溜まることはありません。


落ち葉が積もってできた腐葉土がまるでスポンジのようになっていて、流れてくる水をどんどんと吸い込んでいきます。この何層にも折り重なった腐葉土が、フィルターのようになって水の不純物を取り除き、逆に土に含まれているミネラルなとの栄養素を取り込みながら川へと流れていくことになります。

この様子をみながら、ある自然栽培のお米農家さんが話してくれたことを思い出しました。

彼は無肥料でお米を育てるという挑戦の中で、時間をかけた試行錯誤の結果、山から流れてきた水を田んぼに掛け流しにしたそうです。そうすることでいままであまり実ることのなかったお米が豊作になったそうです。
その要因が山からの水を掛け流しにしたということだけに由来するとは思いませんが、要因の一つであることは間違いないのではないかと思います。

農家さんたちが雨水のことを「天水」と呼び大切にしているのは、雨水が栄養豊富であることを知っているからなのだと思います。水道が普及した現代でもため池の水や川の水を使う農家さんがたくさんいることも頷けます。


ブナの森に雨が森に降る、ということはその言葉以上の意味を持っているのだと思います。今回の体験でそのことがすこしわかったような気がしました。

現実にはブナの森一部地域を除いてはほとんど残っていませんし、落葉広葉樹の森も地域が限られています。実際に雨が降るのは杉や檜の森の場合が多いと思います。

広葉樹の葉は微生物が繁殖しやすくすぐに分解されて土に還り、スポンジのような腐葉土を作っていきます。しかし杉や檜の葉は土中の微生物を抑制する働きもあるようで腐りにくく、なかなか土に還ることができないそうです。


結果として杉や檜の森は保水力の低い森になってしまい、降った雨は時間をかけて濾過されたり、栄養素を含むこともなくすぐに川に流れ出してしまうということになります。

このようなことからブナや落葉広葉樹の森が失われ、杉や檜の森が増えてきたことが流域に与えている影響は計り知れないと感じます。

またそれだけではありません。森をでてすぐに感じたことがあります。写真は山を降りる道路です。


ブナの森の中では強い雨が降っても浸透していくため、足元が水浸しになっているような場所はありませんでした。ところが道にでた途端、浸透することができず行き場を失った雨水が流れとなって道を削りながら低い方へと向かっていくのがはっきりとわかりました。


ところによっては水が集まりながら道を削り、濁った川のようになっていました。

これはただこの場所だけで起こっている現象ではないように思います。いうなればここで見ていることはまさにいま流域で起こっていることなのだと感じます。

ここ最近の雨の降り方はすごいものがあります。つい先日も地震で傷ついた熊本や大分を中心とした地域に場所によっては1時間に150mmの雨が降ったと報道されていましたし、流域の池田市などでも50mmを超える猛烈な雨が降っています。

このような雨が保水力のない森に降ればどうなるでしょうか。数年前の福知山での水害や、昨年の常総市で起きた堤防の決壊などの災害、丹波や広島の土砂崩れなどの災害も、山の保水力不足と密接に関係しているのではないかと想像できます。

人は治水として川を堰き止めるようにコンクリートの壁を作る、というようなことをします。でも想像してみてください。浸透することなく増え続ける水の流れを堰き止めることはこの幅20cm弱の小さな川でも難しいはずです。それは幅20mの大きな川でも同じことだと思うのです。

人が長い時間をかけてやってきたことの結果として今があります。目の前のことだけを見て対処療法をしていっても限界があります。もうすこし根本的な問題に目を向けなければいけないこと森が教えてくれているように感じました。


猪名川の源流にあるブナの森は小さな小さな森です。ただ豊かな森の姿を知ることのできる残された森です。この森を大切にしながら、そこから何を学び、どう暮らしていくのか。流域をめぐるエトセトラとして考えていきたいと思っています。

最後、後編はけせら畑のみそのたね蒔きのことを書きたいと思います。けせら畑の松岡くんが取り組んでいる畑の有り様は、まるで小さな森のようでした。

2016年6月21日火曜日

流域をめぐるエトセトラ「みんなでまこう!猪名川流域みそのたね」



6月19日(日)に流域をめぐるエトセトラ「みんなでまこう!猪名川流域・みそのたね!」を開催しました。

「流域をめぐるエトセトラ」は自分たちの暮らしのそばを流れる川の「源流」を意識して、そこから自分たちの暮らしがつながっているということを実感してもらうための取り組みの総称。今回は能勢で大地の再生をしながら農に取り組むけせら畑の松岡くんとともに流域を意識しながら自分たちの流域の味噌を育てることを企画しました。 畑にたねをまく前に猪名川源流のひとつである能勢妙見山のブナの森ををみんなで訪ねます。

当日は朝からあいにくの雨模様で、時折激しく降るというコンディション・・・。今回は小さな子供たちが10人参加予定だったのでキャンセルが増えるかな?と思ったのですがほとんど全員が参加してくださいました!
しかし自分たちの側を流れる川の源がブナの森だったなんて、この取り組みを始めるまでまったく知りませんでした。


森を案内していただいたのは真如寺副住職であり、妙見山ブナ守りの会の事務局をされている植田観肇(かんじょう)さん。お寺のお仕事でお忙しい中駆けつけてくださいました。

観肇さんの案内で森に入るとすぐに樹齢数百年というブナの大樹やカシの大樹が迎えてくれました!この森には樹齢500年を超えるものを含む100本以上のブナの木があるのだそうです。


ブナは氷河期が終わった8000年~1万年前からこの地に根付いたのではないかと言われているそうで、妙見山のブナは日本の北方地域から伝播しこの土地に定着した固定種であることがDNAなどからわかっているそうです。また寒さを好むブナと、温かい気候を好むカシの大樹が共存しているのは非常に珍しく、妙見山の森の特徴だと教えていただきました。


見上げても先が見えないぐらいの大きな樹たち。幹も大人が1人では抱えきれない大きさです。ブナは非常に成長の遅い木で、5年を経ても1m程しか育たないそうです。とするとこの数十メートルある木たちが経てきた年月は・・・と考えると壮大な歴史の中にタイムスリップした気分になりました。

源流の森を歩くでは、猪名川町の大野山(おおやさん)も何度か訪れていますが、このような数百年を経たような大樹は見たことがありません。妙見山にだけこのようなブナの木が残された理由としては昔から神聖な場所として木の伐採が禁じられていたためなのだそうです。ただ樹齢数百年という木が残っていることを考えても、いつ頃からこの場所が神聖な土地だとされていたのか、また何故この場所が神聖とされてきたのか気になるところです。


森に入ってから上を見上げてばかりいましたが、ふとブナの木の根元を見てみると、落ち葉に混ざって少しかわった形の種がたくさん落ちていることに気づきました。



「それがブナの実と種ですよ。」と観肇さんが教えてくれました。ブナは数年に一度しか実をつなけないという特徴を持っていて、2年から5年ほとんど実をつけない年もあります。その理由として考えられるのが森の動物たちとの関係だと言います。
「ブナの実はとても栄養が豊富でたくさんの動物たちの餌になります。と同時にもしブナが毎年実をつけていたらねずみをはじめとする小動物たちが爆発的に増加して、若い芽をすべて食べてしまうということになるかもしれません。それを防ぐためにブナは自ら調整しているのではないかと思います。」というお話でした。

さまざまな生き物たちが有機的に折り重なり支えあいながら生きている「森」という存在を維持するために、樹自らが次の命を残すサイクルを調整しているかもしれない、というお話はとても興味深いものでした。

また、ブナはとても腐りやすい木で大きな枝が根元から折れてドーンと落ちることがあるのだそうです。 ただ大きな枝が折れるといままで葉っぱにさえぎられていた太陽の光が地面へと降り注ぎ、そこから新しい芽がでてくるのだそうです。


さらに木が腐りやすいということは同時に土に還りやすいということでもあります。折れた枝は地面に落ち、その枝をきのこ類などが食べ分解し、そのあと昆虫たちがさらに食べ、そしてもっと小さな虫たちが土に還していき、次の命のための土壌を整える・・・。ブナの森はなんという素晴らしい循環を持っているんだろう!!と感嘆してしまいました。
そして20代のころ青森のブナの原生林を訪れたときに同じ感覚を覚えたことを思い出しました。青森の森とはまったく規模が違いますが、同じ感覚を自分の住む地域で、また自分たちの暮らしを潤している川の源流で感じられたことはとても嬉しいことでした。

しかし、その素晴らしい循環にも近年大きな問題が生まれてきています。人間の伐採や開発が与えたダメージは計り知れず、もっとも大きな問題であることは言うまでもありません。


山頂から見下ろしたときのニュータウン群の様子や、土砂採取のために切り崩された山、拡大造林によって杉檜が山頂まで植えられた山などを見ていてもわかります。流域をめぐるエトセトラで猪名川の河口を歩いたときも、人の開発の結果として大地が2mも3mも沈んだという事実に圧倒されました。

ただ人の問題はまた別の機会にするとして、森で近年一番の問題になりつつあるのは鹿の爆発的な増殖です。 増えすぎた鹿たちはブナの新芽や森の下草も含めすべてを食べつくしてしまうのだそうです。実際に妙見山のブナの森も、数百年経ている樹はあるものの、次の世代を担う若い木がほとんど育っていないという問題に直面していました。そしてこの問題は妙見山だけではなく、先日森の集いを開催した奈良の春日山原始林や、京都の芦生原生林などでも直面しています。

しかし妙見山では2013年の夏の台風で樹齢200年という大きなブナが倒れたあと、400本を越える芽がでていて、それがキッカケになり「能勢妙見山ブナ守の会」が発足したのだそうです。


ブナ守りの会のみなさんによって植えられた若い木が、鹿を防ぐためのネットの中ではありますがすくすくと育っていました。この木が大きくなるの自分たちの孫か、ひ孫の世代。その時代のことを考えながらいま動いておられます。

もしこの森が次の世代が育たずに絶えてしまったとしたら、一部限られた地域の小さな森であるとは言え、子供達が身近で数百年を経た樹に触れられる本当の森、循環する森の姿に触れられる場所がなくなってしまいます。そのことの意味はとても大きいと感じました。

このブナの森でまだまだ感じたことがたくさんあるので、近日中に続編も書いて行きたいと思います。みそのたね蒔きにたどり着くまでどれぐらいかかるのでしょうか(笑)

2016年5月30日月曜日

流域をめぐるエトセトラ 下流域を歩く


5月28日(日)に流域をめぐるエトセトラ「下流域を歩く」を開催しました。

いつもは猪名川のはじまりである源流の森を歩いているのですが、今回は川が大阪湾に注ぎ込む場所を訪れました。まずは前回訪れた源流の森の写真。この日は黄砂の影響で遠くの山々が霞んでいました。


下流域を訪れるにあたって、まず準備したのは流域の地図。


国土地理院の2万5000分の1の地図8枚で猪名川流域と武庫川流域のほとんどをカバーすることができます。
源流から河口までがどんな様子なのか、川がどこを流れているのか、一目瞭然でわかります。人の目線を離れて鳥のように空から地域を俯瞰して見ることで新しい視点が生まれてきます。

今回、まず河口付近の公園に集合した参加者のみなさんはこの地図をみながら、自分がどこに住んでいるのか示しながら自己紹介していったのですが、これがなかなか面白かったです。

参加者のみなさんはこれまでのイベントに参加してくれている方も多く、何かしらの接点はあったのですが、実際に地図を見ながら話すと下流域の人も上流域の人も川を通してつながっているんだとう実感が涌いてきます。

そしてこちらが実際の猪名川の河口。正確には猪名川から藻川が分かれ、神崎川へ合流し、そのあと中島川になって海へと注いでいます。この河口の周辺はさまざまな工場が立ち並ぶ一大工業地帯です。


遠くに見える堤防のようなものは大阪湾広域臨海環境整備センターの「大阪湾フェニックスセンター尼崎基地」。

滋賀県、京都府、兵庫県、大阪府、奈良県、和歌山県の2府4県から、焼却したあとの家庭ごみ、処理された上下水汚泥、工場のごみ、工事現場の建設廃材や建設残土などが運ばれきて埋め立てられている4つの埋立処分場のうちの1つです。埋立処分場は尼崎以外にも神戸沖、大阪沖、泉大津沖にあります。

いわば2府4県の人たちの暮らしのツケ、ある意味、負の遺産を一手に引き受けている場所だということが言えると思います。実はこれらの埋立処分場もいっぱいになってきているそうです。現に尼崎基地はもう満杯で、いまは船で神戸基地へと運んでいるそうです。

この場所は実は過去にもさまざまな負担を受け止めてきました。
以前にもご紹介しましたが、下が高度経済成長期に発電所や鉄鋼産業などを中心とした重化学工業地帯が形成されていたころの同じ場所の写真です。


このころには大気汚染公害訴訟なども起こります。さらに、このときの大量の地下水をくみ上げた影響で尼崎全体の地盤が2~3mも沈下し、実に市内の約40%!が海水面よりも低い「ゼロメートル地帯」となってしまいました。 この日まで僕はまったく知らなかったのですが、海よりも低い尼崎は湾岸全体が堤防で覆われています。

このことを詳しく学べる施設が尼崎閘門(こうもん)、通称「尼ロック」です。



尼ロックは日本最大の閘門設備だそうです。閘門というのは昔 教科書で学んだ「パナマ運河」と同じ仕組みで、高さの違う海や川を船が行き来するための設備です。海よりも低い尼崎の運河に船を進めるためには重要な設備なのです。

そして万が一水が入ってきたときには尼 ロックをはじめ2箇所にある排水ポンプで水を外に排出する仕組みになっているそうです・・・。実はこのような状態は尼崎だけなく、西宮や神戸のほうにも同じ状況があるそうです。

尼ロックや尼崎海抜0メートル地帯についての詳しい情報はこちらから。

尼崎が海よりも低いということを知ってしまったことも流域をめぐるエトセトラの一部分なのかもしれません。一度話を森に戻します。

実は猪名川の河口で、100年かけて森を育てようとするプロジェクトがはじまっています。

このプロジェクトでは猪名川流域や武庫川流域の森に種を拾いに行って植え、苗木を育て、その苗木を植林するという活動をされています。

昭和のときの写真に写っていた重工業地帯の今がこちらです。
 

このはじまりの森と呼ばれる森は、平成18年に植林され、いまでは背丈を大きく超える木々に成長しています。


森に入るとすぐに空気が変わることに気づきます。気温が下がりとても過ごしやすくなること、また立ち昇る腐葉土の匂いや、木々の花の良い香りにも包まれます。そして鳥のさえずりが聞こえきます。小さいけれど、人の手で作られているけれど、ここは確かに森でした。


小さな森を抜けると工場が現れて、ここが尼崎の工場地帯であることを思い出します。


都会に人の手で森を作る、ということには賛否両論あるかもしれません。特に元重工業地帯であるこの場所だからなおさらです。

ただ実際にここを訪れてみて、「森」という存在が身近にない尼崎にとって、この場所があることで森を意識してできる入口、キッカケとして必要かもしれないと思うようになりました。

考えてみれば人はいつの時代も森を破壊してきました。タタラの時代には燃料として奥山まで木を伐採した
いいますし、身近なところでは神戸の再度山も薪炭材として乱伐されて荒廃し明治以降の植林と保護活動によって再生されたという歴史があったりします。

また前後の拡大造林政策によって行われた杉や檜の植林によっても森は破壊されてきていることを考えても、この場所が人工の森であったとしてもそれをどう捉え、どのように生かしていくかということではないかと思います。
実際に体験すると頭で考えていたこととは違った何か感じと思います。

ここまでてお腹がペコペコになってしまった参加者のみなさん。河口にほど近い場所でお店をされている「穀菜食堂なばな」さんへ。


たっぷりのごはんと優しいおかず、具沢山のお味噌汁をいただいてホッと一息つきました。そのあとは源流の森や、流域でがんばる若い農家さんたちや畑の写真などを見ながら、流域のつながりをみんなで考えました。

多く出た意見としてはやはり今回のように流域という単位でものを考えたり見たりする機会があると、いままでとはまた違った連体感のようなものが生まれる、ということでした。このことがまずとても大切な1歩なのではないかと思います。

以降は今回下流域を歩いてみて僕なりに感じたことです。
ひとつ感じたのは昔は山の人と海の人、上流の人と下流の人がお互いの恵みを持ち寄って交流し支え合っていたのではないかと、ということ。

武庫川と猪名川という2つの川に育まれた尼崎は、もともと干潟が広がるとても綺麗な海だったそうです。川が運んできた土砂によって豊かな土地、豊かな海だったのではないかなと想像します。

尼崎の名前の「尼」という字は古代、中世においては広く漁民、海民を指していたそうです。現代では海の近くには工場が立ち並び、海を生業とする人がほとんどいなくなってしまいました。すると海の現状をみんなに伝える人もいなくなってしまいました。
そうなると山と海の交流も衰退してしまい、そのことが人や物の自然な循環も止めてしまっているように思います。

土の中の水と空気の流れが停滞することで土が呼吸できなくなり粘土になっていくように、下流にたくさん集まってくる人もや物が堰き止められて溜まっていき呼吸がらしづらくなっている。そんな状態が生み出すストレスからいじめや貧困、孤立化などをはじめとした様々な問題が表面化してきているのではないかと思いました。
一方で上流では物や人が流れていくだけて帰ってこない状態が続き、過疎高齢化や農の担い手不足などをはじめとした地域が疲弊したり消耗したりしているじゃないか。そんなことを感じました。

今回のような交流を通じて少しずつでも動きや流れが生まれ始めれば、いつかきっと新しい循環がはじまったり、地域が呼吸できる環境がうまれてくるんじゃないかと思ってます。できたらいまは少なくなってしまった海のことを山の人や街の人に伝えられる人がでてきたら素晴らしいと思います。

流域をめぐるエトセトラはそのためのキッカケづくりだと思っています。大人も子どもものびのびと深呼吸しながら笑顔で生きられる社会、世界になったら良いなと思います。ゆっくりとでも良いので長く流域をめぐるエトセトラを続けていけたらと思います。


大人たちが話をしている間、こどもたちは流域の地図の上にのって川の流れを色ペンで追いました。


山からはじまった川が海にたどり着いたときには歓声もあがっていましたよ(笑)

次回の流域をめぐるエトセトラは6月19日(日)を予定しています。次回は能勢の側の源流のひとつである妙見山の森を訪ね、昼からはけせら畑で「流域の味噌作り」のための大豆を蒔く予定です。詳しい情報はまたホームページにアップします。よろしくお願いします。

出口










2016年5月10日火曜日

流域をめぐるエトセトラ「下流域を歩く」


同じ水を共有する人たちが、源流のある森や山から海に流れ込む河口まで、その全体のつながりを考えながら暮らせたら…。

そんな想いからスタートした「流域をめぐるエトセトラ」。すでに源流の森を6回みなさんと一緒に歩きました。

※その様子はブログを参照してください。


その中で多くの方々が、水のはじまりである源流を意識してくれるようになりました。そして次は下流へ足を運びたいと思います。

森から流れ出た水が流れ込んでいる海。猪名川の場合は尼崎市で神崎川と合流し大阪湾へと流れ込んでいます。
資料によると、縄文時代や弥生時代には猪名川は直接海に流れ込んでいたようです。昔は尼崎は海だったんですね。

その場所へ5月29日の日曜日に向かいます!

5月29日(日)
流域をめぐるエトセトラ「下流域をめぐる」
詳しくはホームページをご覧ください。参加者募集中です!

実は先日、ひと足先にこの場所を訪れてきました。


上は阪神高速湾岸線、周りはパナソニックの工場だらけ。


向こうに見えるのは近畿圏の産業廃棄物の最終処分場「大阪湾フェニックスセンター」。フェニックス計画については大阪湾広域臨海環境整備センターのホームページをご覧ください。

その向こうにはフンデルトワッサーがデザインしたことで有名なゴミ処理&汚泥処理施設「大阪市環境局舞洲工場」…。うーん、猪名川の河口はある意味高度経済成長のツケや負の遺産を全身で受け止めている場所だと言えます。

この場所の過去の写真を見る機会があったのですが、これがまた衝撃でした。


工場だらけで茶色しか見えない…(;´Д`A1988年には尼崎大気汚染公害訴訟なども起こっています。尼崎の海は昔はとても美しい海だったそうです。人間はすごいことをしてきたんですね。

これは人の営みの結果として起こってきたことで誰もが当事者なのだと思います。そのことを受け止めながらこれからの暮らしを考えていくことが重要ではないかなと思います。そのキッカケとしての流域をめぐるエトセトラなんだと考えています。

下の写真を見てください。とても良い森の小道だと思いませんか?



実はこれ先ほど紹介した茶色い工場が立ち並んでいた同じ場所の「今」なんです。

尼崎市が主導して猪名川や武庫川流域の森でドングリから苗木を育て植えていき、100年かけて森を育てるプロジェクトが進んでいるんです。



このプロジェクトを聞いて「人間の都合で汚染地域に森を育てるなんて…」という受け止め方もあると思います。
実は僕も最初はそう思いました。でも鳥や昆虫がたくさん集まってきていたこの小さな森を歩いてみて、森のほとんどない尼崎でこの小さな森から源流の森へと想いや意識をつなげることはできるんじゃないかとも思いました。

なので一度みなさんと一緒にこの場所を訪れてみて、どんなことを感じたか話をしてみたいと思います。


水でつながるコミュニティー「流域」。八百屋としては街の人たちがやる気にあふれた農村地域の若手農家さんたちの野菜を食べることのできる環境をつくること、街の人たちは水の源である山のこと、森のこと、村のことを日常の暮らしの中で意識していくこと。そんなつながりが生まれていけば良いなぁと思っています。

気になったみなさん、ぜひ流域をめぐるエトセトラに参加してみてくださいね。

2016年4月30日土曜日

南阿蘇よみがえり

先日、オーガニッククロッシングのお野菜を届けているお客さんやお店に呼びかけ、熊本の被災地に向かうれしいです「白馬堂Rokko」の浅野さんにやさいを預けました。

浅野さんは被害の大きかった南阿蘇に入り、立野地区という場所の地域の避難所で炊き出しを行っている「南阿蘇よみがえり食堂」へやさいを届けてくれたようです。

※情報は29日朝の時点です。被災地では刻一刻と状況が変わりますので、つねに最新の情報を確認してください。


※写真は南阿蘇よみがえりのFacebookページから転載させていただきました。

現地では物流もすこしずつ回復し、車ですこし走れば食料品や日用品なども買えるようになってきているようです。

ただ建物の損壊などが激しく、自宅に戻れない人が多く、いまだに車中泊という方もおられるようです。

炊き出しには近隣で被害の少なかった地域から料理人の方たちがボランティアで訪れ、温かい料理を提供してくれているようです。

短期間ならともかく、避難生活が長引く場合は配給されるお弁当やパン、インスタント食品ではなかなか元気がでません。そんなときに手作りの温かいごはんをいただくことは想像以上に力になります。

みなさんからご協力いただいた寄付で力になる食材を届けていきたいと思います。

「南阿蘇よみがえり」はFacebookページを丁寧に更新されています。最新の被災地の状況などもわかりますのでFacebookをされている方は「南阿蘇よみがえり」で検索してみてください。

今日から整体師の津田さんたちが被災地に入ります。避難生活で肉体的にも精神的にも疲れた身体をほぐして回られると思うので、こちらにも協力していきたいと思います。

2016年4月26日火曜日

熊本へ

オガクロの野菜を届けているお客さんやお店に熊本の被災地への支援を呼びかけさせていただいだきました。たくさんのご寄付をいただき、本当にありがとうございました!

その中から下記お野菜と果物を準備して、明日から熊本へ向かう「白馬堂Rokko」の浅野さんへ預けさせていただきだきます。


◯てらだ農園さんのべにあずま13キロ
◯寺岡自然農園さんの甘夏20キロ
◯小太朗農園さんのスナップえんどう8キロ
◯めぶき農房さんの煎り黒大豆12
◯小太朗農園さんのおかき

いまの混乱の中では現地のニーズを汲み取ることが難しいので、避難所でも簡単に調理できるスナップえんどうとそのまま食べることのできる甘夏や加工品、という形にさせていただきました。

思い返せば5年前の5月、東日本大震災後の石巻へ浅野さんと食糧支援に向かい、最初に届けてとても喜ばれたのがスナップえんどうでした。

あれから5年、再び起こってしまった震災。余震は900回を超え、今後の展開も予測がつきません。関西でも南海トラフの地震のことが毎日のように言われる中、これから自分たちが自然とどう向き合っていくのか自分のこととして考えていかなければならないと思います。

被災されたみなさんはまだまだ辛い状況が続くと思いますので、八百屋としてできることをやっていきたいと思います。